平安時代に開かれたという真言宗のお寺です。境内には関東大震災の時に鶴見警察署長だった大川常吉(おおかわつねきち)氏の碑があります。「私を信頼しないのなら、朝鮮人を殺す前にこの大川を殺せ!!」。流言による虐殺から鶴見の韓国朝鮮人を体を張って守った、勇気の人の顕彰碑です。
故大川常吉氏之碑
6月第一日曜日の例大祭は盛大また壮観で、潮田一帯の中心的存在です。大正8年(1919)に東潮田にあった杉山神社と、西潮田にあった御嶽神社をいっしょにお祀りするようになりました。本殿前の『海翁石』は江戸時代に太田蜀山人により書き残されていて、また神社の北の角には『北向地蔵』があります。
横浜市のなかでラテンアメリカの人々が集中して住んでいるのが鶴見区、特にここ潮田です。母国語の看板や飲食店が多くあり、サッカーでおなじみのブラジル国旗が目につきます。写真は潮田町3丁目の『ぶーがる』。ブラジル料理や沖縄料理が楽しめ、店頭で作るチキンの丸焼きはボリューム満点です。
ぶーがる
おきなわ物産センターとおきなわ亭
鶴見区に住む26万人のうち沖縄の人々は3万人といわれ、仲通商店街周辺は特に “リトルオキナワ” と呼ばれるほどです。守礼門の描かれた沖鶴会館の1階にある、何でも揃う 『おきなわ物産センター』 とヘルシー沖縄料理の 『おきなわ亭』 は、 沖縄人(うちなーんちゅ)にも大和人(やまとぅんちゅ)にも喜ばれて大賑わいです。
夏の盛り。気だるい午後。商店街を一歩曲がると、重厚な濃緑色の輝く実りがそこここに。ゴーヤーです! 棚を組んで地植えした本格農場風あり、プランターから伸びる日除け棚あり。ゴーヤーが実りまくる仲通。まさにリトル沖縄の面目躍如です。ところでゴーヤーは熟すと何色になると思います?
ゴーヤ棚
光永寺は約五百年前(戦国時代)に領主の潮田氏が開いた曹洞宗のお寺で、ここに館を構えていました。小田原の北条氏に仕えましたが、その滅亡とともにこの地を去り、その後は江戸幕府の天領として代官の支配を受けるようになった潮田村です。稲田を渡る風、塩を焼く煙、赤とんぼ・・・という風景だったことでしょう。
開かれた年は判りませんが、室町時代には既にあった天台宗のお寺です。境内を横切って一般の道路があり、夏は緑一色に、晩秋は黄金色に覆われます。横浜市の名木古木となっている樹齢400年の3本のイチョウ。雨上がりの朝には道も染め上げる黄金のトンネル。「すばらしい !!」 の一語です。
留学生による書初め
日本に来る留学生が部屋を借りるのは大変です。勉強に専念できるよう、横浜市が用意した宿舎がこの国際学生会館です。私たちも含めてお互いの国際理解を進めることも大切で、留学生を講師とした市民講座も開かれます。写真は留学生による書初め。見入ってしまいます。10月恒例の『秋まつり』も国際色たっぷりです。
潮見橋が明治43年(1910)に完成して、本町通は末広町の大工場への通勤路になり急成長。本町観音の恩恵もありがたく、往時は鶴見区最大、横浜でも指折りの商店街でした。世情にもれず今は苦戦の本町通です。本町観音の御利益再びの声があったかなかったか、不思議の国のアリスちゃん登場。女神を戴くと街が栄える。
本田海苔店
埋立が始まり京浜工業地帯の出現する前、潮田一帯は塩作りや海苔作りが盛んな農漁村でした。写真は本町通2丁目の『本田海苔店』。積み上げられた江戸前・木更津産の海苔は、口に含めば懐かしく、うれしい本物の香り。目をつぶると、もう戻ることのない白砂青松の潮田の風景が、五感に迫ってまいります。
町田の丘陵に源を発する42.5kmの鶴見川。潮鶴橋から潮見橋までの川べりは、ゆるやかな流れとともに渡り鳥や海鳥たちと遊べる散歩道になっています。路面には貝殻が敷き固められ、ベンチやパブリックアートが配されています。輝く水面に風を感じて、鶴見川下流ウォークをしませんか。
『何をしているの?』
パブリックアートは『公共芸術』と訳され、公園や公共の場に恒久的に置かれる芸術作品のことです。鶴見区は平成5年(1993)に11点の横浜彫刻展受賞作品を譲り受け、鶴見中央の各所に配しました。写真は 『何をしているの?』。もちろん作品の一部ではない箒やプランター。同じ境遇の作品が他にもあって・・・。さあパブリックアートたちを見付けに行きましょう。
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